「余命4年」私の人生

明日やろうはバカやろう!

★「めちゃめちゃアナログ人間の私が、ネットビジネスで稼ぐぞ!」  

決心しました。

 

というのは、「牛丼を出せない!牛丼一筋〇〇年だった吉野家が黒字を確保できた理由」について、1月8日のブログに書きhttps://shiawaseb.hatenadiary.com/entry/2021/01/08/202301

 

吉野家さんに勇気づけられたからです!

 

「稼業である観光業なしでもやっていけることを証明してやるぞ!」と。

 

ちなみに、私は、旅と鉄道一筋50年(半世紀)こんな感じで生きて来ました。

幼少から鉄道と旅をこよなく愛し、鉄道のイラストを描く⇒大学時代までに日本全国のJR路線約8割を乗り歩く⇒旅行会社に就職⇒鉄道会社の社長になる⇒ローカル鉄道と観光のコンサルタントとして起業する。 

 

しかし、コロナ禍で先が見えません。牛丼屋で言えば、牛肉が仕入れられない危機的状況です。

 

ネットで検索してみると

 

「オンラインに転換しましょう!」

「自分の得意なことをコンテンツにして販売しましょう!」

「弱点こそがあなたの強みです!」

「ピンチはチャンス!」

 

諸々、魅力的?な文言が私の弱りはてたココロを鼓舞してきます。

「無料だからとりあえず登録しよう!」と、コンテンツビジネスのノウハウ集を自分のメールアドレスと引き換えに手に入れます。

 

確かに、無料でここまで教えてくれるの?こんな貴重な情報まで公開してくれて・・・

というツールもありました(玉石混合ですが)

 

でも、最終的には高額な(30万円から50万円以上もする)商材を誘導販売するしくみになっているのですね(商売ですからあたりまえです。批判する気持ちどころかそのしくみ自体に興味関心を持つことができました)

 

まぁ、私も小規模ながら事業主なので、

多少のマーケティングスキルはあります。

 

「無料ツール=フロントエンド商品」「高額商品=バックエンド商品」という程度は。

 

コロナ禍になるず~っと前からネットビジネスも本業に絡めていつか実践したいと思い、はや20年の月日が経ってしまったという感じです。

 

しかも、人生2回目の断崖絶壁状態の現在(1回目は旅行会社時代クビになりかけた)

「いつかやろう!」では済まされない

「今でしょ!」

「明日やろうは、バカやろう!」状態なわけです。

 

てなわけで、藁にもすがる思いで、

「めゃめちゃアナログ人間の私が、ネットビジネスで稼ぐぞ!」

と決心したというわけです!

★料理下手の私が200種類以上のメニューを作れるようになりました!

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いつの間にか、料理が200種類以上作れるようになってました。

 

フリーランスで観光業を営む私。

昨年は、コロナ禍の煽りを受け、全てのイベントやツアーがキャンセル。

時間を持て余したので、私が毎日の夕飯当番~

 

最初は、悪戦苦闘してましたが、今ではレシピを見なくても何でも作れます。

お店の味にも負けないくらい上達しつつあります。

 

(でも、こんな特技じゃお金にならないしなぁ・・・)

と、思う今日この頃です。

★牛丼が出せない!(BSE問題)の吉野家が黒字を確保できた理由とは?

結論から言うと「牛丼なしでもやっていけることを証明しよう!」と

2003年当時の安部会長が、様々な部署から意見を聞き取り、

組織力と企業マインドで、牛丼以外のメニューを開発し、乗り切ったそうです。

この話を聞いて私は、ものすごく勇気づけられました!

 

私は、観光業を営んでいます。

コロナ禍で昨年の収入はゼロ。

今までの貯金を切り崩しながらギリギリやりくりをしてきましたが、

間もなく枯渇してしまいます。

 

途方に暮れていた今日、銀行の帰りに吉野家の看板が眼に入りました。

 (ああ、牛丼一杯も食べれない身分になっちまったんだなぁ)

家族の為に、朝ご飯は抜き、昼は食パン一枚で済まします・・・

 

(うーむ。牛丼屋さんで言えば、アメリカ産牛肉が全く手に入らない状態と同じだな。牛がダメなら豚丼で凌いでいたのだろう。しばらくは赤字でたいへんだったろうな?)

とぼんやりネット検索してみたのです。

 

まさか、あんな危機的状況なのに当時「黒字」だったとは?

 

そして、私はある決心をしたのです。

 

「観光業なしでもやっていけることを証明してやるぞ!」と!

★「好きな仕事」をすれば本当に幸せでしょうか? ※ワークシート(テンプレート付)

 28歳の私は、「好きな事」を仕事にすれば、幸せだと思っていました。

結論から言えば、それだけでは、幸にはなりません。

 

なぜならば、「やりたい事」=「やりたくない事」だからです!

 

(どういうこと?わけわからん!)

と、あなたは、読むのをやめようと思われたかもしれません。

 

でも、少しだけ待ってください。

 

実は、このことが本に書いてあったので、「胡散臭いな」と思いながらも実践してみたんです。(本に書いてあったワークシートに記入して行動に移してみました) 

※自分様にアレンジした「ワークシート」

を文末に掲載しておきますのでよろしければご活用下さい。

 

それと、私には、少なからずこの記事を書く資格があります。

なぜなら、当時の私は、鉄道や旅が大好きで、念願の旅行会社に就職するも、「会社を辞めたい」と常々考えていました。しかし、その本がきっかけで、人生観が180度かわって起業し、ストレスを感じず生きているからです。

 

今ではサラリーマンを卒業して本当の意味で、好きな仕事と仲間に恵まれつつ(贅沢はできませんが)

 

そんな過去の自分に現在の私からエールやヒントを伝えるつもりで書いてみたいと思います。

 

例えば、あなたのやりたい事が「社長になる事」だったとしましょう。

社長というのは聞こえは良いのですが、会社の最高責任者です。

大きなクレームに逃げる事は出来ず、社員の見えない所で、毎日頭を下げることが大変多いものです。

 

それから、資金繰りや社員の給料のことを等、毎日考えている為、心と体が休まる暇がありません。もちろんいい事もがたくさんあるので、社長になりたい人が多いのもうなずけます。

 

でも、あなたが「ひとに頭を下げるのが嫌だ!」だとか「人の心配やめんどうを見ることが嫌だ!」としたら、「やりたい事」=「やりたくない事」であり、本当は社長なんかやりたくないといっているのと同じです。

 

「ラーメンが好きだからラーメン屋になる!」

この考えかたも危険極まりない発想です。

ラーメンは、スープが決めてです。よくテレビなんかで紹介されていますが、有名ラーメン店のスープの仕込みなんか半端でない重労働です。

 

そのくせ、夜は酔っ払いに絡まれ、隣にライバル店が出店すれば一瞬のうちに客足は遠のいてしまいます。とても過酷な世界です。

 

「ラーメンが好きだからラーメン屋になりたい!」と思っている人は、

「ラーメンが好き」なのであって「ラーメン屋」が好きではなのですね。

ここのところが一番肝心なところです。

 

これはまさに版画作品と一緒です。

最初にやりたくないところ(陰の部分)を削っていくので、本当にやりたいと思うことが浮き彫りになってくるのです。

 

やりたい事ばかり考えていたら、どこを削っていいのか分からず、いつまでたっても作品ができませんよね?

 

百歩譲って、万一作品ができたといっても、自分の思い描いていたものとは全く見当違いな作品になってしまいます。

 

かくいう私も「旅行」が好きで「旅行会社」にはいりましたが、やはり現実は違いました。

自分の大好きな鉄道の企画をつくっても全く売れませんでした。

会社に言わせれば「売れるコースが良いコース」なんだそうです。

 

激安ツアーが良く売れるので、自分をごまかしながら楽しくもないコースを乱発してしまいます。

 

本来、ラーメンが好きな人は「ラーメン評論家」へ、旅行が好きな人は「紀行作家」になるべきなんだと思います。ただし両者はかなりの狭き門です。

最初からあきらめずにチャレンジしてもらいたいのですが、厳しいようなら、少しだけ考え方をかえればよいと思います。

 

「紀行作家」は天職。「旅行会社」は「適職」だと思えばよいのです。

それなのに、旅行が大好きだから旅行会社にはいりたいんです!なんでもします!旅行会社は私の天職です!」と、面接時に、はりきって入社するから幻滅するんですよ。

 

「すこしでも旅にかかわっていられるんだからまあいっかぁ~」この感覚が大切です。学生時代、授業中に鉄道の「時刻表」を見ていて先生に取り上げられ、おもいっきり分厚い時刻表で頭をなぐられました。それも角ですよカド!痛々しい思い出です。でも今は何時間時刻表を開いていても怒られません。こういうとき、ああ旅行会社に入って良かったなぁとつくづく思います。

 

「やりたいこと」と「やりたくないこと」を明確にして、その上であまり張り切らず、天職は趣味的にとどめておいて、好きだなとおもうことを適職にしていけば人生どんどん楽しくなっていくのではないでしょうか?

 

※以下に、自分様にアレンジした「ワークシート」を掲載しておきますのでよろしければコピペしてご活用下さい。

 

  • まず最初に今後人生でやりたい事を10個書いてみてください。

  • 次にやりたくない事を10個書いてみてください                    

 

いかがでしたか?すんなり書けましたか?

「やりたいこと」と「やりたくないこと」が重なっている項目は

実は、「やりたくない!!!」です。

よろしければ、参考までに書き出してみて下さい。

 

長文、お読みいただきましてありがとうございます。

★「自己啓発本」を読んだが、行動や実践に移せない悩み

 

「仕事を辞めたい!」

上越新幹線の中で、ため息をつく

 仕事でミスばかりする「ダメ社員」の28歳の私。

 

しかし、会社を辞める勇気はない。

まさに、人生の断崖絶壁に立っていた。

 

「自分を変えたい!」

 

と『ビジネス本』や『自己啓発本』を何冊も読み漁る日々。

 

読書中や完読した後は

「やるぞ!やるぞ!やるぞ!」と高揚感はMAX!

 

でも、結局、最初の一歩が踏み出せない...

どうしたら、読書で学んだ知識やノウハウを行動に移すことが出来るのか?

 

新幹線の中でため息をつく私に、隣席の人が話しかけてきた。

「みかんでもどうだい」

人と会話するような気分じゃない。

ましてや、知らない人なんてとても無理...

 

でも、みかんをもらったことだし、

気弱な私は、会話に付き合うことにしました。

 

仕事のミスで飛ばされ、初めての地方暮らし。

明日から新潟の営業所へ赴任せねばならぬこと云々を手短に話しました。

 

この人、すごく聞き上手で、ついつい身の上話をしてしまうんですね。

包容力があるというか...

 

50歳前半に見えるその人は、新潟で教員をしているとか。

 

(ああ。なるほど。生徒さんの悩みとか進路相談を受けたりするのが本職だもんな)と、私は妙に納得ちゃったわけです。

 

新潟県は「上越」「中越」「下越」のエリアに分かれていること。

その教員氏は、県内諸々と転勤したから

新潟のことならなんでも聞いてくれ!とか。

学校の裏話など、とってもユーモラスに体験談を語ってくたりもしました。

 

(きっと、私の悩みや不安を少しでもやわらげ、元気づけてくれてるんだな)

 

新潟の人は心があたたかいな。そうなんだ。

と、明るい希望の光が心に灯ったような感じでした。

 

みかんがビールとなり、さらに心が打ち解けつつ会話が弾ずみます。

そして、ビールが日本酒に・・・

その教員氏の目が据わり始めました。

 

それから永遠に続くお説教?と、いかに雪国新潟の生活が厳しいかということをとうとうと語り続けるのです。

 

私の席は、3列シートの窓側。

逃げるに逃げられないポジションです。

 

車窓に大観音様現れ、観音様を拝みつつ話を聞かされていたので、

高崎駅を過ぎ、少し走ってからだったと思います。

教員氏がトイレに立ちました。

 

(逃げるなら今だ!)

 

私は席を立とうとした瞬間、力を失ってしまいました。

トンネル走行中、薄暗い鏡のようになった窓に、辛く、せつない自分の顔が映し出されていたからです。

まるで、私の卑屈な人生を映し出す鏡のようでした。過去、現在、未来も...

 

(列車の席からも逃げなくてはならないのか?

自分の指定席からも・・・)

  

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」

川端康成『雪国』の冒頭が浮かぶ「白一色の世界」が車窓に広がります。

 

数分前は、空っ風吹く上州の青空が一瞬にして雪国。

私には人生「ハレの日」は一度もなかったな。

 

そして、暗い暗いトンネルを抜け、

さらに、奈落の底に落ちていく・・・

 

雪の中に埋もれつぶされる人生が待っているのだろうよ。

 

当時の私は、何を見ても、何を体験してもネガティブに感じとってしまう残念な人だったのです。

 

「仕事を辞めたい!」

上越新幹線で絶望している当時の私を、今の私なら救えます!

 ああ、タイムマシンがあれば伝えたい。

 

『ビジネス本』や『自己啓発本』で学んだ知識やノウハウを

実践方法を!

 

そして、君が、その方法を実践した結果、

想像も出来ない程の天地がひっくり返るほどの

体に電撃が走るような嬉しい体験や仕事をすることになるよ!と。

 

逆に、誹謗中傷されたり、辛酸を嘗める体験を乗り越えなくてはならぬが...

  

いつの間にか教員氏の姿はなかった。

 

(ポケットが重いな)

 

教員氏がお土産にくれたワンカップの酒だった。

「菊水」という辛口の新潟の地酒だという・・・

 

(辛口かぁ・・・)

 

初対面の私に辛辣な言葉を浴びせて消えた教員氏。

「やりたいこと」があれば「やりたくないことをやるな!」

 

意味不明だが、なぜか気になる言葉のような...

 

 

 

 

 

★タイムマシンに乗って・・・

もし、タイムマシンがあったら、24年前の世界にタイムスリップしたい。

前回書いた仕事上の重大なミスで、新潟営業所に飛ばされた頃に。

 

当時の私は、本当に使えない社員だった。

というのも、前任地の大宮営業所では経理担当だった為、

企画や営業の経験が皆無だったからです。

 

旅行会社の社員なのに企画書1枚、チラシ1枚も作ったことがありません。

 

「先輩!(私のこと)こんなこともご存じないんですか!」

 

恥ずかしながら、2つ下の後輩に頭を下げ、旅行業務のイロハを叩きこまれました。

 

地方の営業所は所員数が少ないので、1人何役も仕事をこなせばならないのです。

企画、営業はもちろん、電話受付、クレーム処理、同業他社とのお付き合いや業界の会合の出席、カウンターや添乗員業務etc...

 

ツアー中に亡くなられたお客様のご遺族対応は、

さすがに当時の20代の私ではキツかったですね。

突然の訃報に戸惑い、悲しみを通り越し怒りをぶっけられたり・・・

でも、後輩君は、動揺せず冷静に対応しているのです。

 

そんな彼には、「役に立たない先輩」の面倒をみる時間はありません。

 

「んもう!そんなんじゃ、チラシの締切に間に合いませんよ!

ボクがやりますから、先輩はお客様にチケット届けて下さい!ここに社有車の鍵置いておきますから!」

 

「ごめんな~俺、車の免許持っていないんだよ~」と私。

 

「マジですか!!!」

 

口をあんぐりさせつつ「捨て犬」を憐れむような後輩君の視線。

今でもしっかり目に焼き付いています。

 

「自分を変えたい!」

 

私は思いました。だからこそ、「自己啓発本」「成功本」を読み漁りました。

 

しかし、完読の充足感のみで「行動」など全くおこさない駄目な私。

 

そんな当時の私に知らせたいのです。タイムマシンがあれば・・・

 

「君は、これからとんでもない試練が待っている!

 

そして

 

「それと同じくらい、イヤ、それ以上のとんでもない楽しいことが待っている!!!」

と。

★日本一大赤字の営業所に飛ばされて・・・

前回の続きです。

 「おじいちゃん」と思しき人は、営業所長だった。

よく見れば紳士的であり、スーツのセンスも良い。

 

サザエさんの波平みたいなキャラだったから、

髪型だけで「おじいちゃん」と思ってしまったのだ。

 

定年前だから、まだ52歳前後だったと思われる

(今の私と同年齢ではないか・・・)

しかも、私と名字も一緒だし

 

その所長が一人ポツンと座っていた

と前回書いたが、もともと所員が少ない営業所。

たまたま所長以外の所員が出払っていたということのようだ。

 

所長の他に、企画兼営業担当の男性が2名。

私の同期の女性(この営業所に転勤してきてから知った)と、

経理担当の若い女の子。以上が正社員。

その他に、パートや添乗員専門のスタッフが数人在籍している

という家族的な営業所であった。

 

そうそう、忘れてならない人がもう一人。

営業所の次長の存在だ。

 

新潟営業所なのに福島訛りで妙に親切。

柔和な笑顔を絶やさない人だ。

 

しかし、出勤するのは1か月に3日くらい。

まるで「月」のような人だ。

(満月が見れる数日くらいの日数しか営業所に居ないのだから)

いつもどこに行って何をやっているのか謎の人物だ。

 

おっと!

これでは、「私の駄目サラリーマン日記」になってしまいますね。

私にとって、この営業所が、人生のターニングポイントになったのでついつい・・・

 

 次回からは、本題に戻り(本題ってなんだっけ)、続きを書いていきたいと思います。